やがて猫に至る病

創作ユニット「ユタ屋」の広報センターです。

人に見られるということ

他人から見た自分はどのような姿に映っているのだろうかと、最近はよく考えます。外見的な部分は勿論、言動がイメージ及ぼす影響など、個人を象る表象というものは多岐に渡っています。

僕たちが制作している作品も同じで、やはり、自分自身が込めた想いや意図、その他諸々の要素の複合体として、作品は出来上がっています。しかしそれぞれの要素のどの部分を汲み取り、どのように接着するかは鑑賞する側の自由です。

どう足掻いても、創作者と鑑賞者の間で情報のロスは免れえず、ともするとこちらが意図したものとは正反対に捉えられてしまうことすらあります。

しかしそこに正邪の区別は無いのではないかと思います。考えてみれば、人間同士のコミュニケーションにおいて、情報がロスなく100%一方からもう一方へ伝わることなどあるでしょうか? 全てのコミュニケーションは憶測と妥協で成り立っています。話者の意図を想像し、近似でもって理解する。それを話者もはじめから理解した上で情報の取捨選択を無意識に行う。

それが人間の意思疎通です。

しかしそれでも僕たちは、何かを誰かに伝えたい。僕たちが感じた何かが誰かに伝われば良いなと思うからこそ、未だに日々創作を続けているのだと思います。

jutaya.tumblr.com

tumblrにイラストをまとめています。

ちょくちょく更新しているので、よろしくどうぞ。